2010 レンタカーで巡る春のイタリア⑫ ~雨のサン・ジミニャーノ 前編~(by ちゃみおさん)
ヴォルテッラを後にして、次に向かうのは世界遺産の街「サン・ジミニャーノ」。
「美しき塔の街」と呼ばれる街で、14の塔が林立しています。
13~14世紀貿易で栄えた街で、これらの塔は富の証。
最盛期には70を超える塔があったそうです。
街へ行く前に、ホテルにチェックインします。
ホテルはサン・ジミニャーノから少し離れたところ。
ここに決めたのはホテルからサン・ジミニャーノの街が見えるから。
夕日に照らされるサン・ジミニャーノの街が見たかったからなのですが・・・(-"-)
◆◆4/27の行程◆◆
ラ・スペツィアのホテルを出発
↓ 高速
ピサ(Pisa)
http://4travel.jp/traveler/bellwood/album/10461936/ ↓ 高速
ヴォルテッラ(Volterra)
http://4travel.jp/traveler/bellwood/album/10462768/ ↓
サン・ジミニャーノ(San Gimignano)
サン・ジミニャーノ泊
ドイツ・スイス・イタリア・フランス・カミカゼ旅行記(106)世界遺産「モンサンミシェル」を登る。(by ちゃおさん)
このモンサンミシェルは海上に浮かぶ小山の上に作られたカソリック教会、修道院で、数百年にわたって継ぎ足された石組みの建物を取り囲むように、入り組んだ石畳の路地が上の方に続いている。
お土産を売っている商店街を通り抜ける、それから先は寺院の敷地になり、厳かな雰囲気になる。
ここの教会、修道院の格式はどんなものか知らないが、18世紀末のフランス革命時には、監獄として使用され、ヂュマかユゴーか誰かの作品に「監獄島」などという小説もあったかも知れない。
その後、19世紀後半になってから、再び修道院として使用されるようになり、建物も整備され、島と陸地を結ぶ道路も出来上がり、1979年、遂には世界遺産として登録されたものである。
珍しいもの好きの日本人には、フランス旅行、パリ旅行と言うと、ツアーには大体このモンシャンミシェルが組み込まれるようになっているが、何分、パリから相当離れた場所にあり、日帰りツアーでは高齢者には少し、きついかも知れない。
この島に対面する集落には幾つかのペンション風のホテルもあって、時間に余裕のある旅行だったら、そうしたホテルに1泊し、1日掛けてこの寺院をゆっくり巡り、過去の歴史を紐解くことも一興かも知れない。
東京散策2009ぶらタモリ 日本橋 呉服橋~日本橋三越前~日本橋~八重洲(by marukunさん)
橋としての日本橋は、東京都中央区の日本橋川の上に架かる橋。
1603年(慶長8年) - 江戸幕府を開いた徳川家康の全国道路網整備計画に際して架けられ、初代は木造の橋だった。現在、北側部分を原寸で復元したものが江戸東京博物館に展示されており入場者が入り口から他の展示物に行く際に通る。
1604年(慶長9年) - 五街道の基点とされ、江戸の中で最も賑わっていた。浮世絵による風景画に描かれる日本橋には背後に富士山が描かれることが多く、江戸の象徴とも言えた。
1657年(明暦3年)〜1858年(安政5年) - 江戸は火事が多く、日本橋は江戸幕府成立から幕末に至るまでの間に幾度も焼け落ちている。日本橋の焼失は1657年(明暦3年)の明暦の大火による全焼にはじまり、明治維新までに合わせて10回(全焼8回・半焼2回)を数えた[2]。
明治初期 - 明治政府に招かれた肥後の著名な石工である橋本勘五郎によって架けられる。
明治後期 - 東京遷都30年を記念して日本橋の両端に杉細工の「緑門」と呼ばれる鳥居が建てられていた(1898年〈明治31年〉4月12日落成、鳥居の失われた時期は不明)。
1911年(明治44年)4月3日 - この時期に架けられた石造(花崗岩製)の二連アーチ橋が、現在の日本橋である。
1963年(昭和38年) - 高度経済成長期、東京オリンピックを控えたこの時期、橋の真上に首都高速道路が建設され往時の面影は失われた。
1999年(平成11年) - 日本橋が国の重要文化財に指定された。
道路元標 [編集]
戦前の道路法では、各市町村に道路の始点となる道路元標の設置を義務付けていた。その場所は概して市役所や県庁などとされていたが、首都たる東京市は江戸時代を踏襲して日本橋を道路元標とした。
現行の道路法では道路元標に関する規定は無いが今日でも橋の中央には「日本国道路元標」の文字が埋め込まれており、橋の袂(たもと)にはそのレプリカがある。現在、日本橋を始点としている国道は、以下の7本である。
中央区八重洲一・二丁目は東京駅の東側に位置する。東京駅では西側の出口(皇居方面)を「丸の内口」、東側の出口(日本橋方面)を「八重洲口」と称することから、駅西側一帯を「丸の内」、東側一帯を「八重洲」と通称している。ただし、東京駅の駅舎、プラットフォーム等の施設はすべて千代田区丸の内一丁目に位置し、千代田区丸の内と中央区八重洲の境界は、東京駅八重洲口駅前よりもやや東にある。
八重洲口地区は、立地のよさから主にオフィス街として機能していたが、21世紀初頭から始まった再開発事業とともに商業スポットとしても注目されるようになった。八重洲には、本社を置き、また「八重洲」の名を冠した企業が多く存在する。「八重洲ブックセンター」の本店や、日本でも屈指の規模を誇る八重洲地下街もある。
八重洲の地名は、ここに住んでいたオランダ人ヤン=ヨーステン・ファン・ローデンスタイン(Jan Joosten van Lodensteyn)の和名「耶楊子(やようす)」に由来する。彼は、江戸時代に日本に漂着し、後に徳川家康の国際情勢顧問や通訳として活躍し、家康からこの地に邸を与えられた。
現行行政地名としての「八重洲」は、1954年(昭和29年)の町名変更によって成立したもので、現行の八重洲1丁目は旧・日本橋区呉服橋、2丁目は旧・京橋区槇町である。中央区の町名のなかでは唯一、旧日本橋区と旧京橋区にまたがっており、前述のように一丁目と二丁目とで郵便番号が異なるのもその名残である。なお、かつての麹町区(現・千代田区丸の内)にも「八重洲町」があった
GWはスペイン!④ Pen~alba de Santiagoの大自然とポンフェラーダの街並み(by Mirabellaさん)
ポンフェラーダでは友達が案内してくれるので、下調べをしていなかった。地名を教わっても全く覚えられないので、日本に帰ったら調べようと標識を見つけては記録していました。
大自然の景色を楽しみながら向かった、Pen~alba de Santiago(ペニャルバ・デ・サンティアゴ)には、Mozarabe(モサラベ)様式の教会があります。
Mozarabeとは、8~15世紀のイスラム支配下におけるスペインのキリスト教徒を意味します。
昼食は、友人宅に戻りタコの名物料理を御馳走になりました。
夕方はお散歩とバル巡り♪友人のお兄さん&その友達も加わって一緒に楽しい夜を過ごしました。
ルーマニア 世界遺産、トランシルヴァニア地方の要塞教会群(by bossさん)
➛名所・史跡を投稿画像で紹介。
➛12世紀、トランシルヴァニア地方に「サシ」というドイツ系の人びとが入り、これらの要塞教会群が建てられました。中世の時代は、周辺の遊牧民族たちの攻撃があまりにも多く激しいことから、サシ人が集落の教会の防衛を強化するたびに、どんどん要塞化していく事になったのです。
➛ヴァレア・ヴィイロル要塞教会
http://bit.ly/b3ihcy➛地図(周辺詳細)
http://bit.ly/bVJB5N➛名所・史跡を訪ねて(フォト、マップ、スライド)
http://bit.ly/9YcYpn➛オススメ動画「Romania」
http://bit.ly/asIgJ6